南カリフォルニア [編集]
巨大都市ロスアンジェルスはニューヨークと並ぶ音楽産業の中心であり、1970年代以前から「アンダーグラウンド」の規模も大きくその音楽的内容・活動姿勢ともに多様な音楽活動を包含したと考えられ、単一のローカルシーンとみなすことはできない。しかし、その中で1970年代後半の、ニューヨークやロンドンと比べてローカルであったニューウェーヴ・パンクシーンからさらにロスアンジェルス郊外のハードコア・パンクシーンが枝分かれしていく過程は、1977年に高校生のファンジンとして創刊された『フリップサイド』(en:Flipside (fanzine))によく記録されている。当初はニューヨークやロンドンのバンド公演の合間に登場するだけだった地元バンドが増えると共に、「アート系対ストリート系」、「ヒッピーパンク対サーフパンク」といった色分けがなされるようになる。「ストリート系」「サーフパンク」は、ロスアンジェルスのサウスベイやオレンジ・カウンティなど郊外の未成年者を指し、これらのライブハウスで問題を起こしやすい層に人気のブラック・フラッグ、ミドルクラスといったバンドはやがて都心のライブハウスからは締め出され、郊外各地の常設・臨時のライブ会場を拠点として「ハードコア・シーン」が形成されていくことになる。注目すべき点は、これらの色分けがあくまで聴き手の分類であって、ミニットメンやレッドクロス、あるいはTSOLといったバンド自体の音楽は、ニューウェーブ・ポストパンクやメタルなどさまざまな要素を含んでいた、という点である。新たに参入したディセンダンツはサーフポップのメロディーをこの地域のハードコアに持ち込んだ。
ロスアンジェルスでのライブの機会が限られる中、知名度の高かったブラック・フラッグやミニットメンは頻繁にツアーを行ない、アメリカ各地にハードコアシーンが形成される契機を作った。ブラック・フラッグの自主レーベルSST・レコードは、LAで親交のあったバンドだけでなく、これらのツアー活動を通じて知り合ったアリゾナのミートパペッツ、ミネアポリスのハスカー・ドゥ、ニューヨークのバッド・ブレインズ、ソニックユース、ダイナソーJr.といったバンドの作品をリリースし、1980年代の代表的なUSオルタナティブ・インディー・レーベルとして知られる。
ロスアンジェルスは映画産業の中心地でもあり、映画に登場したり映画音楽に起用されたりしたバンドも多い。1980年代初期のハードコア・シーンをよく伝える映画としては、オレンジ・カウンティーのハードコアバンド、ソーシャル・ディストーションとユースブリゲードが1982年スクールバスを改造したツアーバスで試みた全米ツアーを中心とする映画『アナザー・ステート・オブ・マインド』や、1984年のフィクション『サバービア』がある。
1984年にはハードコア・ブームはピークを迎え、ロスアンジェルスでも地元のイヴェンターGoldenvoiceが、各地の人気バンドやUKハードコアのバンドをヘッドライナーとしてオリンピック・アリーナのような大きな会場で頻繁にイヴェントを開催するようになる。このような、メインストリーム的なハードコア・パンク・イヴェントからは地元のバンドの多くが締め出され、様式化したハードコア・パンクと各地のハードコア・シーンの乖離が進んでいたことを『フリップサイド』は伝えている。1980年代半ばにはロスアンジェルスはグラム・メタル、次いでスラッシュ・メタルといったメタルのメインストリームでのブームの中心として各地から集まったアンダーグラウンドなバンドの活動が盛んになっており、パンクバンドの演奏機会は失われていた。しかし、1980年代末からバッド・レリジョンとそのレーベルエピタフ・レコードのメロディック・ハードコアが人気を集め、1990年代パンク・リバイバルの中心の一つとみなされるようになった。
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